効率を100倍にする必要はあるのか?
最近、こんなことを考えている。高速で開発を繰り返しているコードプロジェクトがない自分も、ほかのエンジニアと同じように、10倍、100倍、さらには1000倍の効率を追い求める必要があるのだろうか。
誰かがAIを使ってコードを書く方法を紹介しているのを見ると、自分も学ばなければという気持ちになりやすい。コンテキストをどう管理するか、複数のAgent(タスクを実行できるAIアシスタント)をどう連携させるか、テストとコードレビューをどうつなぐか。どれも理にかなっている。けれど、学び終えたあと、それらを使う必要のあることが自分の手元にあるだろうか。
プロジェクトを継続的に保守している人にとって、こうした方法はたいてい具体的な問題から生まれる。コードが増え、変更の頻度も上がり、どこかの工程が進捗を遅らせ始める。そこで時間をかけて、その問題を解決する。一度の改善をその後の仕事で繰り返し使えるなら、かけた時間も回収しやすい。
経験を文章にすることは、自分の理解を整理する助けにもなる。その後のプロジェクトでその経験を引き続き検証し、書くことで経験も残っていく。こうした蓄積が複利のように効くことは、たしかにある。ただ、その背後には継続中のプロジェクトがあり、現実の問題とフィードバックがある。
記事を読む側が、同じ状況にいるとは限らない。方法を理解し、書かれているとおりに一度設定することはできる。けれど、そのあと使う機会がなければ、何が本当に優れているのか、いつ使う価値があるのか、どこを調整すべきなのかは、なかなかわからない。数日もすれば新しいツールが登場し、新たに学ぶことも増える。かなりの時間を使ったのに、それが自分の何を成し遂げる助けになったのか、うまく説明できない。
もちろん、何が必要かは試す前からいつも明確とは限らない。新しいツールを試したことで、これまでできなかったことができるとわかり、そこからプロジェクトが始まることもある。好奇心のまま触ってみるのも、ごく自然なことだ。ただ、そういう可能性があるからといって、すべてのアップデートを追う必要があるわけではない。
学ぶときは、二つの問いから始められる。今の自分にとって、もっとも大切なことは何か。それを、どこまで仕上げたいのか。
高速で開発を繰り返すコードプロジェクトがなくても、AIを使い続けることはできる。文章を書く、技術的な問題を理解する、顧客との打ち合わせに備える。どれにも具体的な使い道がある。目標がはっきりすれば、何を学ぶ価値があり、何はひとまず置いておけるのかも判断しやすくなる。
たとえば今、一本の記事を書くなら、まずAIと考えを話し合い、材料を整理して、初稿を書く。書き進めるなかで、うまく説明できないところが見つかったら、そこで資料を調べ、知識を補い、表現を直す。その過程で同じところに何度もつまずくなら、そのときに、よりよいツールや方法を調べればいい。
そうすれば、学んだことが役に立ったかどうかを確かめられる。曖昧だったことを明確に説明できるようになったか。記事を最後まで書き上げられたか。ほかの人たちが使っているAIコーディングのワークフローは、自分にもそれを必要とするプロジェクトができたときに学べばいい。