「渋い」——甘くないほめ方

公開日:2026-09-22 1,001 文字 4 分で読めます

日本語には「渋い」(しぶい)という、なかなか面白い言葉がある。

もともとは渋味、たとえば熟れていない柿の味を形容する言葉だ。それが人に使われると、ほめ言葉になりうる。声が低くて質があって、身につけているものは決して目立たないのに、いつまでも見飽きない——そういう人に、「渋い」と感じることがある。

中国語で「味がある」と言うと、少し近い。ただ「落ち着いている」と訳すと、評語らしくなってしまって、あの賞賛のニュアンスが抜け落ちる。

この言葉は、外見だけでなく、人の選択もほめられる。

たとえば音楽の話をしていて、相手が往年のジャズミュージシャンの名前を出した。少し意外に思って、こう返す。

渋いですね。

このとき言っているのは「大人だね」ではなく、「おっ、そんなものを聴くんだ、選ぶね」というほうに近い。そこには素直な感嘆があってもいいし、ちょっとしたからかいが混ざっていてもいい:あなたの好きなものは、どうしてこうも古風なのか。

ただし、「渋い」は「高級」とイコールではない。むしろ落ち着きや抑制、ときには少し古めかしさを帯びている。鮮やかで人目を引くものももちろん美しいけれど、この言葉で形容されることはまずない。ぱっと見は目立たず、よく見てはじめていいと分かるものに、こそ似合う言葉だ。

私が好きなのは、この言葉がほめ言葉にもう一つの居場所を残しているところだ。

人をほめるとき、つい「きれい」「若い」「輝いている」になりがちだ。けれど、人の魅力は必ずしもそこにはないこともある。声は少し掠れていて、服の色は暗めで、好きな映画も新しいものではない。一つひとつ挙げれば羨むほどのことではないのに、この人にだと妙にしっくりくる。

そんなとき、「かっこいい」は少し明るすぎて、「雰囲気がある」は少し空回りする。「渋い」はちょうどいい塩梅だ。

もちろん、何にでも使える言葉ではない。「渋い顔」は困った顔、渋い表情のことだし、「反応が渋い」なら、相手があまり乗り気でないことを指すこともある。あの「渋い」の下地はずっと消えず、どこに落ちるかで意味が変わる。

だからこそ、人をほめるときに、ひと味違った趣がある。

すべての好意が、糖を口にしたときのように甘いわけではない。ある声を耳にしたとき、ある配色を見たとき、あるいは相手が好きなものの話をしているのを聞いたときに、心のなかでふと、そうだな、これはいい、と思う。そんな好意もある。