脳味噌:正しく訳したあと、言葉には何が残るのか
最近、ポッドキャストを聴いていて、ある日本語の言葉に出会った。「脳味噌(のうみそ)」だ。
「脳」は脳で、「味噌」は味噌。二つを合わせると脳髄を指し、人の頭脳や知力を表すこともある。
脳の中の味噌。
その光景は少しグロテスクなのに、なぜかかわいらしい。頭蓋骨を開けると、そこにあるのは冷たい神経組織ではなく、柔らかく、ねっとりとして、どこか暮らしの匂いがする味噌の塊なのだ。
辞書を引けば、おそらくこう教えてくれるだけだ。
脳味噌:脑浆、脑子。
訳はまったく正しい。それなのに、いちばん面白いところが消えている。
中国語の「脑浆」は意味を伝えても、味噌までは運んでこない。その言葉が何を指すかは教えてくれるが、字面の上でどのような姿を見せるのかまでは見せてくれない。
けれど、もう一歩考えてみれば、「脑浆」にも光景がないわけではない。「浆」もやはり粘り気があり、同じように少しグロテスクだ。ただ、中国語を母語とする私はこの言葉に慣れきっていて、もはや「浆」の存在を感じられなくなっている。
翻訳が光景をすっかり消してしまったわけではない。まだ目にすることのできた一つの比喩を、すでに見慣れた別の比喩に置き換えただけなのだ。
ここに、翻訳が最も生みやすい錯覚がある。意味さえ届けば、仕事は終わったという錯覚だ。
しかし、言葉は物に貼るラベルだけではない。
一つの言葉には、音や形、連想、そして固まってしまった比喩が潜んでいる。日本語の母語話者が「脳味噌」と言うとき、毎回味噌を真剣に思い浮かべているとは限らない。私たちが中国語で「掌握」と言うとき、実際に手を伸ばして何かをつかみはしないのと同じだ。比喩は長く使われるうちに、磨かれて日常の言葉になる。
外国語を学ぶ者には、かえって部外者ならではの特権がある。
まだその言葉に慣れていないからこそ、母語話者がとうに見過ごしている継ぎ目が見える。「脳」と「味噌」はまだ別々の二つのもので、それらがぶつかったときの、かすかな可笑しさも消えていない。
そして、この馴染みのなさがあるからこそ、自分の母語も同じような継ぎ目だらけなのに、とうに見えなくなっていることに気づく。
「春雨」もそうだ。
中国語の「春雨」は、軒や土の上に降る細い雨を指す。日本語の「春雨(はるさめ)」は春の雨を指すだけでなく、透明な麺の一種も意味する。細長く柔らかく、水に入れると、春の雨が斜めに降り注ぐように見える。
辞書がそれを中国語の「粉丝」と訳すのは、もちろん間違いではない。しかし「粉丝」にも、「粉」を糸のような「丝」にしたという独自の光景がある。「春雨」が残すのは、それとは別の光景だ。
二つの言語は似たものを前にして、異なる部分をつかみ取った。意味は翻訳できても、名づけたときに向けられたその一瞥まで、そっくり運ぶことは難しい。
AIによって、意味を運ぶことはかつてないほど簡単になった。見知らぬ文章を入れれば、数秒後には流暢で正確、自然な訳文が得られる。かつて私たちの前に立ちはだかっていた文法や未知の単語は、急速に姿を消している。
これは進歩だ。紙の辞書を引くのに10分もかかった時代を懐かしいとは思わない。
しかし、翻訳から抵抗がなくなると、それとともに別のものも消えるかもしれない。立ち止まって、言葉がどのように生まれ育ったのかを見る必要がなくなるのだ。
「脳味噌」はそのまま「脑浆」になり、「春雨」はそのまま「粉丝」になる。障害のない通路を手に入れる一方で、その両脇にある景色を見逃してしまう。
本当に見過ごされやすいのは、むしろ訳文があまりにも自然であることだ。
AIは馴染みのなさを進んで取り除き、字面がもたらす唐突さをならし、別の言語を私たちの見慣れた世界に組み直す。自然な仕上がりになるほど、翻訳が単にラベルを置き換えるだけでなく、比喩や視点、連想まで置き換えていることを忘れやすい。
だから外国語を学ぶことは、appleは苹果だと覚えるだけのことではない。まして、翻訳ツールがないときにどうにか生き延びるためのものでもない。
本当に価値があるのは、見知らぬものを、すぐに見慣れたものへ変えないことだ。
まずは「脳味噌」を、脳の中の味噌のままにしておく。
その奇妙さを目にし、質感を味わい、少し笑ってもいいことにする。それから「脑浆」という正解を受け入れればいい。
よい言語ツールは、あらゆる抵抗を消すべきではない。意味のない障害を越えるのを助けながら、立ち止まるに値する馴染みのなさを残すべきだ。
翻訳を拒むのではない。ただ、あまりに早く訳してしまわないことだ。
一つの言葉の最も大切な部分は、ときに最終的に何と訳されたかではなく、答えを得る前に何を見ることができたかにある。
AIは、私の代わりに一文を正しく訳すことができる。
けれど、脳の中には味噌が入っているのだと初めて気づく、その瞬間まで代わることはできない。