「苦手」:ちょっと、手に余る

公開日:2026-09-26 1,039 文字 4 分で読めます

日本語を学んでいると、「苦手」(にがて)は「不擅长(得意ではない)」という意味で覚えやすい。数学が得意でなければ、「数学が苦手」と言える。この覚え方はわかりやすい。

あとになって、日本人は猫や、ある食べ物、さらにはある人についても「苦手」と言うことに気づく。そうなると、「不擅长」と訳すのは少しぎこちない。むしろ、これはちょっと手に余る、と言っているように聞こえる。

たとえば、友人の家を訪ねたときのこと。友人が大好きな猫を抱いて近づいてきて、触ってみるかと聞く。あまり触りたくない私は、「猫が嫌いです」とはっきり言うこともできるし、「猫はちょっと苦手で……」と言うこともできる。

前の言い方は、「不喜欢(好きではない)」をはっきり言っている。後の言い方は、余地がもう少し残る。もしかしたら引っかかれるのが怖い。もしかしたら、猫が急に近づいてくるのに慣れていない。もしかしたら、ただ好きではないだけ。理由をすべて言わなくても、猫と一緒にいると私が落ち着かないことは、おおよそ伝わる。

私が好きなのは、後の言い方のほうが、難儀はこちら側にあると友人に伝わりやすいことだ。猫を抱いて近づいてきたのは、自分の好きなものを私と分かち合いたかったからだ。私は猫に触りたくない。でも、その気持ちのどこかがおかしいと思われたくはない。

そこで思う。日本語には、これから言うことに、少し保険をかけておくような言い方がある。

何かの予定を断る前に、まず「こちらの都合で……」と言って、理由がこちら側にあることを示す。疑問を伝える前に、まず「私の理解が違っていたらすみませんが……」と言って、自分の理解が間違っている可能性を認める。そうすれば、断られたり疑問を向けられたりした相手にも少し余地ができ、それをすぐ非難と受け取らずにすむ。

こうした言い方は、ひと手間多くかかっているようにも見える。けれど、「我不愿意(私はしたくない)」の一言だけを渡されると、相手は、自分が何か間違えたのか、自分のせいで相手を不快にしたのか、と考えてしまうことがある。もう少し言葉を足して、私がただ少し慣れていないだけで、相手は何も悪くないとわかってもらえるなら、その言葉は無駄ではなかった。

「苦手」は短い。それでも、そうした意味を少しは帯びられる。私は無理に手を伸ばして触らなくていい。友人にも、私がただ猫と一緒にいるのが苦手なだけだと、伝わりやすい。

友人は猫を抱いて戻り、私の隣に座った。私たちは話題を変え、そのまま話を続けた。